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無題/五味良徳

 絵を描きながら、ふと、思うことがあります。

 この、目の前にある絵は何故このように描かれているのだろうか、このようにはでなく、別の描かれ方もあったはずなのに、と。

 自分で描いていながら、こんなことを思うのは奇妙なことなのですが、正直言って、絵を制作している最中はこんな考えが浮かんでくるのです。

 ところで、この考えは、昔の偉い哲学者が発した「何故、何もない代わりに何かがあるのか?」という問いをもじって、「何故、他の描かれ方の代わりにこのように描かれているのか?」という問いに形を変えることもできるでしょう。

 この二つの問いの在りかたは本質的に違います。すなわち、前者は明確な答えを出すための材料(経験とか言語とか)が我々の身の周りに用意されておらず、思弁でもって答えに近づいていくしかないような類いの問いですが、後者はあくまでも実制作のなかでの話であり、経験の範囲における問いです。

 しかし、ある意味において、両者の在りかたは同じ、とも考えられるのではないか、と思うのです。
 後者の問いのなかの「他の描かれ方」というのは、実は存在しないのです。(現実に作品としてカタチあるものにならなかった、という意味ではなく、もともと言葉として私の頭の中に思い浮かんだもににしかすぎない、という意味で) だから、後者の問いは「何故、何も描かれていないのではなく、このように描かれているのか?」と問い直すことができるでしょう。そうすると、この問いの在りかたは前者の問いのあり方と同じ、と言ってもよいのではないか。

 つまり、目の前にある絵について考えることは作品の在りかた(存在)について問うことでもあるのではないか、と思うのです。

 日々、このようなことをつらつら考えながら、絵を制作しています。

       

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