新山光隆展(小野画廊・京橋)2002.11.18〜23/崩清明
拓殖大学のデザイン科(木島彰ゼミ)を卒業したての新人画家の二度目の個展である。アクリル絵の具の下地に油で彩色。例えば、DMに見られる様に青系統の色相に黄系統の色相を対比させるかの様なコントラストの強い補色閑係を際立たせる。塗りは、かなり粘度の高い塗膜のストロークの為に支持体のキャンバスの維い目が浮出る程に薄塗りと言うよりは点々と点状に絵の具が付着している状態も見受けられる。形態は、初期(卒業制作)の師(木島彰ゼミ)のストライプが変異した様な畝々蛇状曲線絵画から様々な形が画面全体に分散しているものに変化している。要するに、これは多様な手法、形態、素材の試行錯誤のレッスンの途上にあると、言う事に過ぎない。だがしかし、この若き新人、画家のまだ方向性も定まらない作風を、あのグリンバーグ宜しく「気分判断(ハイデガー?)ではなく、趣昧判断(カント)しようとか、20世紀も漸く終丁し、21世紀初頭の日本の現代絵両の動向の流れが「ミニマル・フィギュラティヴ」と「ネオ・ボップ」に二分される中で寧ろ少数派とも呼ぶべき「一般抽象絵画」を目指すのは愚直で気骨のある若者だとか、言いたいのでなく、師(木出彰ゼミ)曰くもっと塗りを濃くした方がいいだとか、雑多なイメージを持つ地と図を廃してオール・オーバーな画面を見てみたいだとか、言いたいのでむない。ところで、帥(木島彰ゼミ)宣わく、抽象の起源と言われているモンドリアンやカンジンスキー達にもその抽象の基になる「原風景」(故郷の運河と煉瓦等)があるのだとしても、その画面の最終形態は取り敢えず4っのタイプに分類若しくはそれらの組合わせで出来ると思われる。モンドリアンとカンジンスキーは「冷たい抽象」とか「熱い抽象.」とか所謂教科書的に言われてからl00年余りが経ってしまった訳であるが、その二人だけでは「全ての抽象絵画」は到底カバー仕切れない。
なぜならその二人は共に「線(構成)的」(ヴェルフリンの意昧ではなく)だからだが、では言わば「面(構成)的」もうニ人(?)とはマーレヴッチとクプカになるだろう。特にはマーレヴッチはロバート・ライマン等のミニマル・ペインティングまでの射程を有するからだ。この若き新人画家の画面にもマーレヴッチ的や或いはクプカ的将又クレー的なイメージすらもが散見される。抑が「具象だの「抽象」だの、と言われて100年余りと言われているが本当にそうだろうか?ゴンブリッチ『装飾芸術論』を繙くまでもなく抽象図象は、紀元前から存在する。抑が「文字言語」が「図案」が「紋様」が「抽象画」に外ならない、徹底的に「線(構成)的」(実はそれがデザインと呼ばれる)ではあるが、尤もこんな議論はグリンバーグが認めるわけもないだう。何せ「モダニズム絵画」だからだ。それにしてもグリンバーグの「モダニズム絵画」は狭過ぎる、.彼がラウシェンバーグを軽蔑し、ラインハートを無視し、マーティンすら知らず、ステラを見て当惑せざるを得なかった(「グリンバーグは、画家が「絵画の本質的な慣習」の定義を文字通り受け取る度に、その画家の意見に従おうとはしなかった」)のはド・デューヴ(『絵画唯名論』)の言うように自業自得なのかもしれない。この若き新人画家は恐らくこの国の21世紀「抽象絵画を担う一人となるのかもしれないが、それは彼の師(木島彰ゼミ)よって却下された幻の卒業研究(多様な絵画手法、形態、素材の分類研究)の実践/接合。製作の試行/思考の中から発生して来るに違いない。
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