go to main page

チラシ画像

現在の日本・都市を近代の廃墟として捕らえ1つの起点として考えたとき
そこからどんな種子が芽生えツタが絡み、次世代の風景を形作るのか?
今、美術・芸術に何ができるのか?

 9.11以降の世界的混乱に加え日本は長引く不況、安全神話の崩壊など、誰もが先の見えない不安を抱えている。しかし一方でわが国はGNP世界第2位の水準を依然として保っている。

 このような矛盾した現実を背景に構造改革が進められてはいるが、単なる弱者切り捨てとなっているのではないだろうか。もちろん明治以来の疲弊しきった社会システムを変えなければならない事は言うまでもないが、今日の満身創痍の社会・経済状況の中では、手段よりも目的こそが真に問われるべきであろう。 現在の、どこにも行けなくなった手詰まり状態は「近代・資本主義・都市」に「衰退・廃墟」という没落のイメージをなげかけている。

 廃墟とは本来、西洋固有の概念であり、アジアとは無縁である。しかし、近代が今までと違った風貌を明らかにしている現在において、廃墟という概念もまた変わっていかざるを得ないのではないだろうか。

 室町時代の唐絵と大和絵、明治期の洋画と日本画、そして戦後の現代美術。自らの根拠を持たず、常に脅迫反復的に海外の文化を模倣することで自らを権威付け、自らを守ってきた日本の美術はその結果、社会から遊離し、存在理由を失い、まさに文化的廃墟の様相を呈していると言っても過言ではない。この様な状況に対するカウンターカルチャーとしてのアジア的廃墟は表現者=社会的弱者という自覚のもとに、その想像力によってのみ出現する。

 廃墟の上に新しくツタがのび、様々な植物が絡まり、やがて一つの風景が生成されていくように、我々が自生し、自律する可能性を、そして何かを生み出す契機をその廃墟の上に見出す事ができないだろうか。

 MASCは芸術による創造性が今日の困難な時代をのりきる重要な手がかりと活力になっていくと信じている。困難な現実をともに生き、「文化の力・芸術の力」を大いに享受しながら、芸術理念と実践がメディウムとなる自由な創造性を背景とした「開かれた場」を創出することが目的である。MASCはこの地点を一つのささやかな希望・起点 として捉えている。

 こんどこそ、この日本という風土・民族・歴史の文脈の上に悠々と立脚し、さらに近代にさらされ、翻弄されてきた者として、自律的な表現を獲得し、構築していくための確かな足掛かりをつかみ取りたいと強く希求する。

 今回の公開講座では「廃墟の美学」の著者であり美学者の谷川渥氏と建築評論家の飯島洋一氏をお迎えし、批評と制作の対話の中で、未来への指針を見出し、実は既にそこにある表現者の力を再生したいと考えている。

 「希望だけが無い国」と言われる現在のこの日本こそ、21世紀のアジア的廃墟を語るのに相応しい現場と言えるのではないだろうか。

                           MASC都市芸術実際会議

講師 講師  谷川 渥(たにがわ・あつし)
1948年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。美学専攻、國學院大学教授。 著書/『見ることの逸楽』(白水社、1995年) 『文学の皮膚』(白水社、1997年) 『形象と時間』(講談社学術文庫、1998年) 『鏡と皮膚』(ちくま学芸文庫、2000年) 『幻想の地誌学』(ちくま学芸文庫、2001年) 『廃墟の美学』(集英社新書、2003年)ほか

講師 講師  飯島 洋一(いいじま・よういち)
1959年生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了。建築評論家、多摩美術大学助教授。 著書/『光のドラマトゥルギー』(青土社、1990年) 『王の身体都市』(青土社、1996年) 『結末的建築症候群』(パルコ出版、1994年) 『映画のなかの現代建築』(彰国社、1996年) 『現代建築の50人』(INAX,1993年) 『現代建築・アウシュビッツ以後』(青土社、2002年) 『現代建築・テロ以前/以後』(青土社、2002年)

司会・進行 司会・進行  芝 章文(しば・あきふみ)
1956年生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。MASC都市芸術実際会議代表、美術家。

2003年10月25日(土) 開場/17:45 開演/18:00 終演/20:45
会場/東京ウィメンズプラザ・ホールB1F
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67


公開講座の様子


       

ページのトップへ戻る戻るメインページに戻る