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2006年7月16日(日)新川区民館

勉強会


 今回の勉強会は、スタン・ブラッケイジ:Dog Star Man(Prelude, Part1, Part2, Part3, Part4)の上映、「脳は絵をどのように理解するか」第三章「形の知覚」、「絵画の準備を!Ready for Painting」6誰がセザンヌを必要としているか(1)「セザンヌの美 術史理解」を読みました。

 「脳は絵をどのように理解するか」第三章、形の知覚では、ガンツフェルト(輪郭のない状態)を通じて輪郭が日常生活や絵画にどの重要性が説かれていました。輪郭は、我々がこの刺激をしょりするために徹底的に準備さえた脳と目を持っている、床からきているらしい。ここで我々が問題にしたのは絵画において輪郭の明確な作品と不明確な作品がこの生理学的な考えで解釈も成り立ち得るかもしれないということであった。ガンツフェルトを体験する実験では、「目が開いているのか閉じているのかわからなくなったり、平衡感覚の喪失といった運動障害が現れることもある。さらに、こうした視覚的な輪郭の剥奪を続けてゆくと、幻覚が生じることもある。」とあり、輪郭の曖昧な作品は逆にこのようなものを効果として利用しているのではないかとも考えられる。その後、モネ、カンディンスキー、ライリー、ステラの作品を例に縞模様の効果やはたらきを学びました。マッハの帯と側抑制では、側抑制の効果とレンブラントなどの作品から受ける人間の深さや豊かさリアリティーなどの関係を論じました。

 「セザンヌの美術史理解」では、今回はマチスの切り絵から始めました。問題になったところは、マチスの語るところ、私の絵には次元がない、視点の要請によってあらゆる次元が自在に生じるとはどのようなことか、作品に大小関係が成立しないことでした。またそのようにセザンヌの絵画を継承したマチスのセザンヌとの違いとしての「生産物としての絵画」としてセザンヌの視覚的次元に到達する課題に「画中画」としての装飾性で答えようとした。

 次回は、ブラッケイジ:The Act of Seeing with one's own eyes(自分自身の目で見る行為)1971年制作、検死解剖の様子をとらえた作品を上映、「脳は絵をどのように理解するか」第四章 「視覚的認識」と「誰がセザンヌを理解しているか」「正当性の原理」を予定しています。

(文:山田宴三)

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