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2006年11月18日(日)京橋区民館

勉強会


今回の勉強会はスタン・ブラッケージ、The Garden Of Earthly Delights(1981) ,Jane(1985)、その他の上映、「脳は絵をどのように理解するか」第七章「遠近法」前半、「レディー・フォーペインティング」〈誰がセザンヌを必要としているかU〉−ロザリンド・クラウス『ピカソ論』−前半を読みました。

「脳は絵をどのように理解するか」「遠近法」前半では、「世界の物理的次元は網膜で二次元として処理されるが脳は、これまでの経験を通して得られた世界に関する知識と文脈を手がかりとして用いることによって、三次元に解釈する。私たちはこのように三次元で見る脳をもっている。」このことがこの章のテーマとなっています。

 始めにウッチェッロの『サン・ロマーノの戦い』で8つの様々な遠近法が使われていることを確認して本論に入っていきました。奥行きの知覚には単眼と両眼の手がかりがあります。両眼には、両眼視差と輻輳(両眼を対象に向けるときの筋肉の動き)の二つがあります。単眼の手がかりには、動きの手がかりと絵画的手がかりの二つがあります。絵画的手がかりには、線遠近法、色、大気遠近法、きめの勾配、高さ、向き、陰影、対象の重なり、対象の大きさがある。ここで問題になったものは、きめの勾配と動きの手がかりで、そこからジェームズ・ギブソンのアフォーダンス理論に話は及びましたが、ただ十分な用意が無かったため次回の宿題としました。

 〈誰がセザンヌを必要としているかU〉−ロザリンド・クラウス『ピカソ論』−前半ではこの後の展開を予告している部分でした。まずロザリンド・クラウスがフォーマリズムの作戦の延長線上でイコノロジーによらないでイメージを扱おうとしています。それは「むしろ画面のなかに統一性を持たないような、ある亀裂というか不可解な不連続線があることに注目する。その不連続線というようなものがなぜ起こったのかということを語ることで、その意味を語ろうとするのがクラウスのやり方だと思うんですね。」ということでした。

 次回の勉強会は、スタン・ブラッケージVakvagany(2002),「脳は絵をどの様に理解するか」第七章「遠近法」後半とアフォーダンス、〈誰がセザンヌを必要としているかU〉−ロザリンド・クラウス『ピカソ論』−後半からを予定しています。

(文:山田宴三)

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