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2006年12月16日(日)京橋区民館

勉強会


 今回の勉強会はスタン・ブラッケージ、Vakvagany(2002)前半、「脳は絵をどのように理解するか」第七章「遠近法」後半とアフォーダンス、「レディー・フォーペインティング」〈誰がセザンヌを必要としているかU〉−ロザリンド・クラウス『ピカソ論』−後半を読みました。

 「脳は絵をどのように理解するか」「遠近法」後半錯視と恒常性の部分です。いくつかの恒常性を確認した後マンティーニャの『死せるキリスト』に進みました。図版には後世に描かれた修正された短縮法で描かれた作品と並べられています。それに対して原作品は「横たわった人物に関する彼の経験と死せるキリストに対する彼の畏敬が、彼に美術的な逸脱を余儀なくさせたのである。―中略―線遠近法の厳密な規則に違反することによって、マンティーニャは死せるキリストのはるかに力強いイメージを示し、見るものに、その体(とりわけその顔)への親近感と衝撃的なほどの距離的近しさを与えている。」このことは、「それは、世界についての私たちの知覚が、対象がどの様に見えているはずかという私たちの考えによって左右されるからなのだ。」ということに忠実だったかである。

 アフォーダンスでは、『アフォーダンス−新しい認知の理論』佐々木正人著をまとめたものを読みながらギブソンがアフォーダンス理論を作り上げるまでの道のりを確認していき、一般的な認知論との違いを学びました。特に情報は人間の内部にではなく人間の周囲にあるというような考え方を学びました。

 〈誰がセザンヌを必要としているかU〉−ロザリンド・クラウス『ピカソ論』−後半ではマックス・エルンストの『主の寝室』を使って前半で予告した「不可解な不連続線」を説明しています。この作品は子供のお絵かき用の図像集を塗りつぶして部屋を描き、図像集にある鯨や犀、木などが塗り残された作品です。ここに不可思議なものを感じるのですが、その理由が無関係なものが並列しているからではなく、この図像集の範例的(パラディグム)分類秩序であると論じています。イメージ同士の対立ではなくイメージがおさまるべき複数の空間と空間のズレが不可思議の理由だといっています。このように構造的な形式の問題としてイメージの問題をクラウスは語ろうとしていると論じています。

 スタン・ブラッケージは今回前半のみの鑑賞でしたが今回にて上映を終わりたいと思います。

 次回の勉強会は、「脳は絵をどの様に理解するか」第八章「遠近法と美術の歴史」、〈誰がセザンヌを必要としているかU〉―モダニズムの視覚性―を予定しています。

(文:山田宴三)

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