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石井博康展 「痕」2004−湿地の果て−


194cm X 162cm oil on canvas


「絵画はどこを漂流しているのか?−石井博康の新作について」 谷 新

 地下鉄・練馬駅にほど近い石井博康のアトリエは八角堂を思わせるシャレたリビングの3階部分にあった。比 較的近いところに住んでいるが訪れるのはこれが初めてである。八角堂がアトリエだったら最高だがなー、とぶ と思う。家人はもとより許さないだろうが、その間取りが石井の絵画の空間を変えるきっかけになるかもしれな い、と確証もなく想像されたからである。その上にあるアトリエはいわゆるアトリエであって何の変哲もない。さして広くはないアトリエ空間に石井の大カンヴァスはちょうど屏風のように立てかけられていた。アトリエ空間に絵が合ってしまっている、ともそのとき思った。
 新作はよく描けている。今年銀座で見せたグループ展での近作もよく描けていた。絵としての完成度が高いと いうことである。もともと石井は油画科の出身だから絵がうまく描けるのは当り前である。さすがに描けるんだなー、と問題意識のズレた変な感慨をもってそれを眺めた。
 というのも、もともと石井との出会いの時期、それはもう20年近くにもなるが、そのころ彼はFRPと呼ばれる化学樹脂をもちいて、八ヶ岳山麓にある別荘地近くで主に採集した“地表の版画”(地表に樹脂の溶剤を撒き、樹脂が固まった後でそれを地表からはがして作品にする)ともいうべき作品に集中していた。枯葉や小石や木の皮目から土まで剥ぎ取ってしまう“直接話法”の方法のインパクトが強く、何回か企画でも登場してもらったことがある。それから、そうした自然に採集したモティーフと、コンピュータの部品らしきものや印刷物、デジタル画像など二次元のイメージを掛け合わせて立体化した立体作品に移ったが、そのころの作品はあまり記憶にはない。宇都宮に移ったこともあって頻繁に会うこともなく視界から消えていた。
 石井のいわゆる絵画作品はその後のもので、したがって90年代後半からである。そのころ石井は個展にこの ようなコメントを寄せている。「今、キャンバス上にドットとクロス(網)が現れた。網の向こう側とこちら側は何を隔てようとしているのか、あるいはお互いに路み合おうとしているのか、今はその網にかかる得体の知れないものを画面上に捕捉しようとあがいている。」(フタバ画廊、99年) こうしたコメントによれば、絵画に移行しても地表のダイレクト・プリント時代の痕跡を色濃く残しているようにも思える。そのタイトルの多くが「痕」であることもそうだが、実際そのマティエールにおいてもドットは存在論的“点”であり、クロスも空間を透過させる媒体であるよりもたとえていうなら鉄格子のように物質的である。それは初期の、まだFRPの作品に入る前の物質感の濃厚な絵画作品にもみられるもので、石井が本来的に宿している作家の表現性といっていい。また「得体のしれないもの」もそのかぎりにおいての物質性をイメージさせる。それはやはり最初期の得体のしれないものがモティーフとなるレリーフ作品に還元されていく。
 ただしそれは否定すべくもない石井の作家性である。ドットやクロスをさわやかに通り過ぎる空気もあれば、湿気をもちドットやネットに終みついてねっとりとした重い触覚感を感じさせる空気もあるだろう。前者の例がドットに大きさや色相の変化をつけてパースペクティヴを生む要因としてあつかう芝章文の近作(かわさきIBM市民文化ギャラリーでの発表)とすれば、石井の絵画への移行期の作品は強いていえばその後者のイメージである。
 だが、コンセプト上表現上で制約の多い絵画において、版形式の“直接話法”が同じように生かされるとはかぎ らない。絵画を対象視する別なスタンス、移行の方法論が試されることもまた選択肢のひとつではないか。この ことは石井がその後の作品において自覚的に展開していることだが、ひとつはドットとクロスをかたくなに残存させつつ、それらを破砕するように、たとえていえば異空間からの流星群の到来のように痕跡づけられる激しいストロークであり、さらにはそれすら切断するように重ねられる擦過傷のようなストロークである。ただ、あくまでもイメージの類同として、それが中西夏之の「無限遠点」と「絵画場(ここ)」の関係を思わせてしまうとすれば、それとの距離感のとりかたも必然的に生れてこよう。
 もともと石井と中西はまったく違うが、絵画のとらえ万感じ方で一部共通点がないわけではない。川を風景の なかで横から、つまり左右に流れる状態で眺める一般的視角に対して、中西夏之は橋の上に立って垂直方向に川の流れを感じることの大切さを語っている。岡山県高梁市に生まれ育った石井は、高梁川の清流を橋の上から飽かず眺める体験を視覚・身体にインプットしてきた。そういえば石井の作品は一部横に流れるイメージもあるが、大半は垂直に落下もしくは上昇する表象に支えられている。違いは中西がそれをパースペクティヴの問題としてとらえているのに対し、石井は直接話法の垂層化の構造のなかでとらえようとしているということである。いいかえれば中西は川の水面を眺めつつ視界のはるか彼方に“遠なるもの”を感じさせる視覚経験を絵画の構造に組 み入れようとしているのに対し、石井はあくまでも川の水面に直角に視線を向かわせようとする。空間は彼の視 線の先で、逃れようもなく堅牢な垂層化を果たしつつ固定化しようとするのはそのためだろう。その方法論はい かにも石井の性格を示してあまりある。
実は石井もそのような直接話法による版形式からの脱却あるいは展開の糸口を、人がそのなかに入って天空を望む円筒形を半切した洞窟のような形態として表そうとしたことがあった。実現はしなかったが、それはこちらからの光ではなく、ステンドグラスのようにFRPに刻印された地表を介して外部からやってくる光を内部から感じるシチュエーションである。あるいはFRPを地表から剥ぎ取る際に、それを垂直に立てるのではなく斜めに立て、空間に内的な性格と外的な性格をもたせて直接話法からの展開をイメージさせるドローイングも残している。それらを見れば石井が必ずしも空間や絵画に対して直接話法による表現の還元だけを目指しているわけではないことがわかる。この斜めに地表から立ち上げる角度は不正確だが、モネが睡蓮の池を眺め、画面にそのイメージを転換する際に焦点を目いっぱい画面上方に構えて表現するときのパースペクティヴの角度に似ている。モネはその光景を水面に反映する光と、水面を透過して水底の水草がゆらぐさまを描き分けた。水面は前者では鏡であり、後者では見えない透明な皮膜である。石井の新作は依然ドットにこだわりを見せつつある変化をはらみつつあるように見える。ドットが絵画を規制し整序づける記号から脱却し、垂層化する皮層のなかに痕跡をのこしつつ溶解するように見える作品も生れている。つまりはパースペクティヴを生む要因をこれまでの例とは異なった考えや方法に見い出そうとしているのか、あるいはそれらからの脱却の方途が芽生えようとしているとみるべきなのか、さらにはそうした方法論を超えた絵画構造にもとづくコンセプトの転回が果たされようとしているのか、その展開をしばらく注視することにしたい。

(たに あらた・美術評論家/宇都宮美術館館長)

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