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矢部裕輔 木の彫刻展



「矢部裕輔−空間に曝されたこの場所で」山田宴三

 アトリエは、九十九里浜に程近いたまねぎ畑と休耕地に囲まれていた。「あそこです。」と言われて指先の方向を見ても、はじめは打ち捨てられた工事現場か資材置き場のように見えてそれとは気づかなかった。それというのも、工事現場でしか見ることのないような金属の円柱と板で組み立てられた壁が半分ほど敷地を囲っていて、屋根にいたっては、全体の四分の一にも満たないほどしか張られていない状態に見えた。周囲の休耕地の雑草は、敷地の囲いを無視するかのようにその中にまで侵入していたからである。
 作品は、ニメートルから三メートルほどの杉の丸太を縦半分に切られたものが、雑然とした作業場の中で、井形状に一メートルほどに組み上げられたもので、まだ周囲のものに馴染んでしまうもの程の制作過程であった。これからこの作品はこの倍以上に組み上げられ、バランスをみて、一度解体し、必要なところを削り、表面処理した後もう一度組み立てるのだという。作品はまだ木の皮やチェーンソーによる荒々しい歯形などが処理される前の−そういうものが見えるからこそかえって−木の存在感を露にしたまま組まれていた。
 作品の中心は空洞になっていて、丸太そのものの量感とその空洞でできた負の量感、そして作品を取り巻く外部の空間を丸太の隙間から作品内に導き入れることで外部空間をも作品の構成要素として感じられた。別の視線で作品を見ると、丸太が重なり合ってできる「図」と、その隙間にできる「地」としての平面的な空間−もちろん視線が移動すると地と図の形も変化する−が別次元の空間を構成した。それら二つの異なった次元の空間が一つの作品に重ね合わさる構造になっていた。
 矢部裕輔は語る、彼にとって木彫とは粘度の均質性からくる量の概念とも、木造仏像彫刻の繊細な細部に対する感性とも違うものだと。おそらくそのことの意味は「木」自体の存在論的な価値に対する彼の感性や信頼からきているように思われる。事実破のこれまでの作品「大和の風」、「万の滝(湧く)」、「地カラ湧キ出ルモノヨ コノ国ノ神々タチヨ」、「ゆらりゆらり」、「空からふらり」、「ひととき」、「手を上げたまえ!逆立ちが通るぞ!」、「トゲトゲドーナツツ」などは、タイトルからも十分伺えるように、木という存在にある形なリイメージが湧き上がってくるその瞬間を捉えたものだろう。その形やイメージは、木とのアニミスム的な「対話」から生み出されたものである。そうした作品から作られる無垢でおおらかな自我のもつ力そのものが作品を追う毎とに増大してきいている。

 低い山を電車が抜けると大網駅に着いた。五分ほど待って、迎えにきた彼の車に乗り込んで、アトリエに向かった。二十分ほど平らな道を走り、大きな升目模様の農道だろうか、そこを縦横に走った、その升目模様の一辺に点が接するようにアトリエはあった。そして彼の作品は、この九十九里浜の海岸線まで続いた薄く広大な大地の広がりの中に曝されていたのだ。そして九十九里浜の海岸線は、この大地と空の広がりを切断していた。それは人の侵入を拒む大きな壁として立ちふさがるような、また別の空間、世界の始まりでもあった。この空間は観念の世界であり、一神教的な世界である。作家は作品とともに広大な大地の空間に曝されながらも、その観念的、超越的な空間を十分に感じ取れるほどの距離で制作されている。この超越的空間をどこか感じながら、それまで養い養われてきた木彫の感性によって素朴に制作を進めることができるのだろうか。
 作品を制作することでわれわれは、われわれを発見しなければならない。その場所を彼はこの地に与えられたのである。休耕地の雑草、整然と植え付けられたたまねぎ畑、月と雲が青を背景に実体を感じさせない同じ白さで浮かび、渡り鳥のように連なる三筋の雲を輝かせながら沈もうとしている太陽とが同時に見えた空、この空間に曝されながら作家と作品は、どのような風景を発見することになるのだろうか。そして何よりも注目すべきは、対話を拒絶する異質な海岸線の空間の存在である。「木」から超越性を削りだすという不可能と思われるこの問題を通じて、矢部裕輔は与えられたこの地で存在論的なものと観念的なものの対立にいやおうなく出会わなくてはならないだろう。
 しかしもう彼の気づかないところで、その超越性の刻印は作品の構造に刻み込まれているのではないだろうか。これまで彼は木との対話の中で作品を制作してきた。木彫が木との「対話」ならば、その具体的な行為は削りだすことであるはずである。「手を上げたまえ!逆立ちが通るぞ!」「ゆらりゆらり」「地カラ湧キ出ルモノヨ コノ国ノ神々タチヨ」など木の持つ根源的な生命力を感じ取りつつ、はたらきかけとして削りだされた作品である。「空からふわり」「ひととき」などの板状に見える作品でさえもまた削り出されたものである。その彼がなぜ丸太を二つに割らなければならなかったのだろうか。
 二つに割るという行為は、製材という行為に近い。木の持つ存在論的な力を均質な物質性に矯正しようとする行為に繋がり、木の粘土化と言い換えることができるかもしれない。粘度化することで「対話」を禁じられた作家は、全体性という過去から今度は「量」という概念を構築しなければならないだろう。そこには構築のためのシステム化が必要となり、そこから超越性が要求される。事実、作品は井形状に組み上げられ、量で構成されているではないか。
 この後、彼は作品を削る作業に入る、つまり対話しようとするはずである。しかしその丸太は二つに割られてしまっている。対話しようにも、木という存在はその失われた痕跡をとどめているだけである。それでも彼はその痕跡をたどりながら削らなければならない。この矛盾を作家とわれわれは生きなければならないだろう。八百万の神と一神教の神がせめぎあうこの場所で、である。

(やまだえんぞう・美術家)

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