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山田ちさと展



「リセットされた絵画」 佐竹英一

 薄い透けるナイロンに描かれた山田ちさとの作品を見た瞬間、私は子供の頃よく遊んでいたぴかぴかのプラスティックで出来上がった玩具を一瞬、想い起こした。
 当時主流の手の温もりを感じさせる木製の玩具や、なぜか物悲しげな雰囲気を醸し出すブリキ製の玩具達に混じり異色さを放っていたのが、色鮮やかなプラスティック製の無機質な玩具であった。プラスティックは多くの製品の素材として現在も有効に機能し続ける一方、環境問題が勃発することにより20世紀が生んだこの有能な物質は、21世紀の未来を担う希望の物質ではなくなった。その物質感に敢えて挑戦する山田ちさとの作品は何を表現しようとしているのか。
 山田ちさとの作品はまず、特異な物質感から訴えかけてくるものがある。それは、木枠に貼られた薄いナイロンそれ自体が、支持体の素材として特異性がある上に、表面に配されたアクリル絵の具に多量に混ぜられたメディウムがそれをさらに強調し、またナイロンの裏から透ける岩絵の具の絵肌のなまめかしさが、強烈な不協和音を響かせる。もはや今までの絵画作品を読むためのコードはどうも通用しない。
 作品は地と図の関係に、ナイロンの半透明性を利用した反転が用いられている。まず、支持体であるナイロンを木枠に張り、肉厚のグラスに注がれた水がみせる様々な紋様から特異な矩形が選び出され、“図”のための下図が描かれる。岩絵の具がその矩形に注ぎ込まれ“図”が創作される。さらに、木枠から‘‘図”が描かれた支持体であるナイロンが一度、はずされ反転され再度、木枠に張り直される。次に、反転される前“地”としてあった彩色されていない矩形に、メディウムが多量に混ぜられたアクリル絵の具が注ぎ込まれ作品は完成へと向かう。作品によっては、さらに反転を数度繰り返したものもある。
 このシステムを利用することにより山田ちさとは、“無意識”を表現の中に取り込もうと試みていると言う。しかし、山田ちさとの作品で重要なことはそれ以上に、地を固めてその上に絵の具の層を積み重ねていく構築的な技法から生み出された西洋の伝統的な絵画作品とは違う別な領域に、作品を持ち込んだことにある。山田ちさとの言う“無意識”は、このリセットを繰り返すシステムによって、確実に、作品へと取り込まれていく訳である。
 日本画を学んだ山田ちさとは、それこそ無意識的に水墨画における技法を取り入れているが、そこに敢えて止まろうとせず、裏切りさえする。薄い透けるナイロンには、リセットするための二重の仕掛けが存在する。薄い透けるナイロンを支持体にすることにより登場する「裏の世界」=「透ける岩絵の具」=「デッサンを下に計画的に意識された図像」とそれを裏切る「表の世界」=「メディウムが多量に混ぜられたアクリル絵の具」=「裏返された無意識な図像」である。一方は岩絵の具を透かせてみせることによりあの和紙の持つ東洋画独自の空間が潜むような雰囲気を醸し出すが、ナイロンが持つ物質感とメディウムが多量に混ぜられたアクリル絵の具が指し示す物質感には東洋感など微塵もない。見事な裏切−−これこそがリセットされた新しい絵画なのかもしれない。

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