・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記:都市芸術実際会議/2019.8.1
「アートリボーン・プロジェクト」起案
十数年前、我が国の芸術活動を支えるアートインフラの脆弱さを痛感した我々(美術家)はアートインフラの構築と共に、芸術活動の活性を目指し、NPO法人「アート農園」を設立した。当初は雑誌の刊行や勉強会からスタートし、展覧会企画や美術講演会、さらに地域社会を対象としたワークショップなど、様々な活動を行なってきたが、一つ、抜け落ちていた大事なことがあることに近年気付かされた。
それがこの「美術作品の倉庫プロジェクト」である。人々が人生を終えるときに葬送のシステムが必要なのと同様、美術作品にも終末の制度が必要なのではないか。
作家の手によって生み出された作品は展覧されるところまでは皆、イメージできるが、その先の問題が抜け落ちている。
多くの美術家は自己実現のため、また社会との接点を見出すために精力的に制作を行い、発表して一まず役目を終えると共に、それらの作品は行き場を失うという現実。私がこのことを痛感したのは、全国の美術館に作品が所蔵されている著名な彫刻家が亡くなられた時、遺族が最も困ったのは、倉庫に眠る残された作品群のことであった。
彫刻作品ということもあり、倉庫の賃料は月々十数万円を超えるという。それを誰がいつまで支払い続けるのか…。
作家が精魂を込めて制作した美術作品は、程度の差こそあれ、この様な運命を併せ持つ。
我々が今考えているのは、制作した作品をできるだけ安価で保管・アーカイブでき、作家が亡くなった時には遺族が迷うことなく適切に処理できる様々な制度作りを実現することなのである。
MASC都市芸術実際会議 代表 石井博康
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記:NPO法人アート農園/2018.1.6
「アートリボーン・プロジェクト」起案
美術作品には、人類の新たな精神の荒野を切り拓いてきたという歴史があります。幸か不幸か、消費され無惨に消えていく作品があれば、大切に保管され、残されていく作品もあります。
作品には常に、この引き裂かれる現実が横たわっているのです。
作り手は後世に名前を残すなどといった個人的な欲望は、それほど強くありません。おそらく作り手は作品を制作したことで、もう十分にその恩恵を得ているはずです。それではどうして、私たちはその作品を残したいのでしょうか?
本来作家によって制作された作品は、すべからく保存され、残されるべき物だと思っています。
確かにそれらすべての作品を残すということは、もとより、不可能なことは十分にわかっています。この世にある物はいずれ失われていく、その事は留められません。しかし、私たちには、作品に刻み込まれた作り手の思いと、研究対象としての価値を、この世から抹殺してしまう事への恐れがあります。廃棄されていくことへの、不安と喪失感、罪悪感に強く苛まれるのです。
制作者にとって作品は、慈しみ一生懸命育ててきた我が子のごとく、あるいは自身の魂の断片ともいえるような、大切で、尊いものだと思っています。
残念ながら廃棄されなければならなくなったそれらの成果物に対して、作り手は昔から作品を排泄物に譬える事で諦め、泣く泣く廃棄してきたという経緯があります。
作品には本来、置かれるべき場所があるはずなのです。言葉を持たない消え行く作品の一枚一枚に、それは必ずあると思います。私たちは運良く生き残った作品の落ち着き先をみつけてあげたいという使命感のようなものを感じています。
どんな作品にも、その生まれてきた経緯、制作者の思い、が強くあります。
その声無き声を聞き、落ち着く先を捜す事・・・。その価値を未来の人々に受け渡し、繋げていく使命のようなものに突き動かされているのです。私たちは作品に残された微かなアウラを拾い上げていきたいと考えています。
失ってからではその声を聞く事は出来ません。その声を聞くために、なんとか残しておきたいと願うのです。
幸い私たちが推進するこのプロジェクトには現在、大変多くの賛同者の声が寄せられています。残しておきたい作品、残さざるを得ない作品、私たちの貴重な遺産を少しでも多く保存していけるための制度作りが急がれています。
NPO法人アート農園代表 芝 章文