生活と文化の総合センター

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山田宴三展−鏡の中の外 【MSP】

山田宴三/鏡の中の外

「日本画の廃墟」 崩清明(くずし せいめい・反写真評論)

 かつて、あの椹木野衣はアンゼルム・キーファー作品群にその「ジオラマ装置的特性」(書き割り性、眼の生理の虚構性、無人風景、裳抜けの殻)を捕らえて、「絵画の剥製」と名付けた。「こういう言い方が許されるならば、キーファーの作品は絵画の死体などではなく、絵画の剥製なのだと形容されるべきかもしれない。絵画の内臓を全て抜き取り、火によってそこに孕まれた水分を完全に蒸発させ、その魂を代償に肉体だけを歴史の中に凍結させる。しかしこの事は、一体何を意味しているのか」(『ユリイカ』1993年7月号)。だがしかし、ポール・ヴァレリー(或いはドゥルーズXガタリ「芸術は、肉と共に始まるのでは無く、家と共に始まる。それ故、建築が諸芸術の中で第一のものである。」)が指摘するのを待つ迄もなく、「絵画も彫刻も棄て子」に他ならない、「母親たる建築」の。つまり、「絵画も彫刻も」とは、事の始めから、「母親たる建築」の素材的にも手法的にも様式的にも形式的にも残骸(棄て子)に過ぎないのだ。ということは、如何にもレトリカルでアナロジカルな「絵画の剥製」と言う譬え話も、妥当性を欠くと言えるかもしれないのだ。だとすると、敢えて「こういう言い方が許されるならば、」それは「絵画の廃墟」と呼ばれるのが相応しいと言えるかもしれない。キーファーの作品群は「廃墟の絵画」ではなく「絵画の廃墟」だと。尤も「母親たる建築」の残骸(棄て子)として動物の剥製が室内を装飾しているのは別に不思議な事は何も無い。「しかしこの事は、一体何を意味しているのか」。 ところで、西洋建築の素材は砂、岩石、粘土、金属、硝子、といった鉱物(非生物)資源である。従ってその廃墟にある残骸も又鉱物である。例えば、世界遺産ウルクの古代遺跡は「イラク戦争」など無くても(遺跡とは紛もない廃墟そのものなのだから)時間の経過と供に砂塵に帰す運命にある。勿論キーファーの作品群はそれらの鉱物(非生物)資源が構成要素である、まれには藁や女の服や髪の毛が使用されるけれども。「廃墟の表象は、遠い過去の文明の記憶を保持しつつその過去と現在とを隔てる時間的距離を意識すると同時に、また現在を一つの遠い過去とするであろう遠い未来との間に横たわる時間的距離をも意識し、さらに過去と未来とのあわいに存在する自己なるものを相対化しうるような時間意識の成熟によってはじめて可能となる」(谷川渥『表象の迷宮』)。 キーファーの作品群に於ける時間意識は言わずもがなの「ユダヤ・キリスト教的」時間意識に他ならない。それは「天地創造」から「最後の審判」までの直線的な時間軸であり、歴史とは時間の蓄積堆積過程であり、廃墟とは建築に蓄積堆積された時間性そのものだといっても過言ではない。ついでに言えばキーファーの作品群は鉱物(非生物)資源の蓄積堆積過程なのだ、そしてそれらの作品からはときたま、砂粒が零れ落ちるだろう。一言で言えば「廃墟という絵画/絵画という廃墟」(絵画の廃墟化)。

 さて、山田宴三である。キーファーが西洋(建築の)「絵画の廃墟」とするならば、山田宴三は和(風建築)の「絵画の廃墟」と名付けられるかもしれない。和風建築の素材は木材、綿、麻、絹、楮、三椏、榧、藁、皮、膠、樹脂、墨、牡蠣殻といった動植物(生物)資源が素材である。和風建築の廃墟は柱には茸が巣くい、漆喰の壁が罅割れ、黒黴が発生し、襖には染が滲んでいる。山田宴三自身が呟く様に「作品は、丁度壁の染の様なもの」(「鏡の中の外について」)なのだが、その染に何等かの表象を投影するよりは西洋建築の廃墟の時間性と比較考察して診ると、和風建築の廃墟は菌類に因って分解され土壌に帰り、再び動植物へと回帰する。円還する時間性であり、「仏教(東洋)的」時間意識なのだ。「光学的錯覚(オプティカル・イリュージョン)」と「物質的即物性(マテリアル・リテラルネス)」それとも「崇高」と「滑稽」、キーファーに触れる者は「光学的錯覚」に「崇高」を見るか、「物質的即物性」に「滑稽」を感じるか、「尤も多くの場合、論者達はこの折衷案を用意して、不毛な二者択一を回避しようとする」(椹木野衣)。実は椹木野衣はこのどれをも選ばずに言わば第四の道に進む訳ではあるが、ここではキーファー作品の構造(「逆倒の考古学」)が西洋の建築(の素材)/廃墟/歴史/宗教の構造と奇妙にも酷似してしまっている事を確認しておけば事足れりとしよう。「私は全体の部分として絵画を描いていません。私が絵画の前に「見る人」を必要とするのは、そういう理由からなんです。例えば…丁度蜂蜜が獣を魅きつけるように、見る人を、私の絵の一部分として取り込んでしまいたいのです」(アンゼルム・キーファー)。キーファー自身が呟く様にキーファー作品は或種の「躓の石」(「踏み絵」)なのだ。即ち、「見る人」は「鑑賞者」であると同時に「作品」に付着させられた「マテリアル・オブジェ」と化す。その絵画空間(非演劇的静けさ)に吸込まれようとする快楽を不意に遮断された「反イコノロジスト」が「笑いを禁じ得ない」と嘆いてみせたところで、「アイロニー、ユーモアと言ったことは極めて大切なもので、これがなければ人は何事も言えません」「冗談は冗談なのですが、意味のある冗談だと思います」と囁きかけるキーファーに肩を竦められるのも致し方ないと思われる。それがキーファーの仕掛けた罠であってみれば当然。さあ、山田宴三の仕掛けた罠がどの様なものであれ「フーコーの様に当惑されながらも笑っていただけ」(「鏡の中の外について」)かどうかは分からないが、それにしても「日本画の廃墟」たる山田宴三作品にはそもそも、塗込められるべき図像(建築、風景、人物)が何も無いという事態は、まさか明治期に捏造された日本画の非歴史性をいみじくも体現してしまっていると指摘するのは穿ち過ぎだろうか?