「絵画の垂直降下、あるいは村井俊二のために」 本江邦夫(多摩美術大学教授/府中市美術館館長)
これほどまでに錯綜し猥雑をきわめた現代にあって、なおも絵画に描かれるべき理由があるとすればそれは何なのか。むろん、この問いに正解は無い。いやむしろ、こう言うべきかもしれない。そんなもの、あるわけがないのだと。ならば、何があるのか。たぶん、あるのは一つの場所ないし広がり。私たちの生の、輝かしいものであってほしい、その可能性の内に巣食う冷たくほの白い「死」のような場所に、そっと――そうだとも、まるで捧げもののように――置かれた、置き去りにされた、イメージ以前の何かささやかなもの。私はこれを「絵画」と呼びたい。やがてこの世に、この日常に現前すべきこれが、幸運にも一つのかたち、いやむしろ存在となるのなら――すべての道は「絵画」に通じる!――私はそこに絵画を嫌うすべての名前を許容しよう。
「絵画」とはあるいは、死を内包した生の揺らぎ、戦き、屈折、滑落、放下、迂回、逃走、交錯、そして希望と絶望のすべての、ゆったりと素早い軌跡のことかもしれない。なぜ一枚の白い紙に、キャンバスに線でもいい点でもいい、一つの刻印がなされるのか。なぜ年端もゆかない子どもの、とうに忘れてしまった、いまや計りがたい日常において私たちは「絵画」の現前に立ち会うことになるのか。そもそも、目の前の紙だったりキャンバスだったりする、この白い場所、むしろ広がりとは死の世界あるいはむしろその影ではないのか。
死の内なる生の疼き。何かを期待して、あるいは失って高まる鼓動。過ぎてきた時空に後ろ髪を引かれる。いつも掌から逃れていく生の姿あるいは気配(水を掬う)。子どもたちはこれらすべてを知らない。いや、もっと正確に言おう。子どもたちとはすでにこれらすべての総称なのだ。だからこそ、子どもたちはひとしく、それと知らずに「絵画」にもっとも近い。そしてある境界を過ぎて、それと知らずに、ときには傷心をかかえて、「絵画」にもっとも遠くなるのだ。児童画は児童画でしかない、児童画の天才は画家にはならない−−そんな意味のことを断言したのは、あらかじめ失われた「それ」(itであれesであれ)を求めつづけ、計算高い大人のような子どもになった「天才」ピカソだ。
子どものお絵かきに「絵画」の始源を見るのは、発生論的には別に珍しいことではない。それにしても、子どものどこか本能的な線描と彩色をつうじて、人類における「世界」の習得あるいは理性なり知性の芽生えを跡づけること。これはほとんど陳腐な発想というしかない。その一方で、現代においてもっとも子どもの絵に近づきながら、その蹂躙とも搾取とも無縁だったほとんど唯一の画家(一筆書きの天使)、パウル・クレーはかつてみずからの「創作信条」を問われて、あの名高い線描論をまとめあげたのだ。「芸術とは目に見えるものを再現するのではない、目に見えるようにするのだ。」いったい何を?心の内なる「それ」を。蒼白の地帯(ゾーン)あるいは飲み下しがたい異物のようなそれを。その自覚があれば、おのずからそこに「絵画」は生じるのだ。そして、そのもっとも純粋なかたちとは、たとえば心電図のようなグラフ、まさに存在の投影にほかならず、すべての真正な画家はここに始まり、ときに長い苦難の道のりをへてここに終わるのだ。
比較的最近のことだが、美大の、とりあえずは油絵科に入ったのだが、とても絵を描く気がしない、そんな学生が増えている。にもかかわらず、彼らはおそらく彼らの内なる「それ」に促されて「絵画」を選択したのだ。そうした彼ら、絵画の周辺を旅する遊牧の民のような彼らの一握りの最良の部分がやがて素敵な「贈り物」をたずさえて帰還することは大いにありうるだろう。そこに絵画にとって新しい時代が始まるのなら、それ以上の何を望みえようか。にもかかわらず、来るべき絵画の、それが唯一の出発点ではないこと。これまたあまりに自明のことである。
最初に選択、決断がある。そしてあらゆる実験は事象の本質すなわち表現の零度に収斂する。絵画を立ち去り迂回するのではなく、その根底をきわめ、まさに不分明なその生成――要するに「絵画」に立ち会うこと。村井俊二、このつねに実験的な画家が選びとったのは、絵画の垂直降下ともいうべき、子どもの領分への自己投企であり、「ChildWork」と題された一連のこころみは、たとえ一瞬にせよ子どもでもありえた画家の存在の反響としか言いようのないものである。そして私たちは、いや私はそこに何をみいだすのか。たとえは地と図の、対立的共存ともいうべき不確実な関係、むしろ揺らぎ(ハイデッガーのいうLichtung、つまりそこだけぽっと明るい林間の空き地、つまり芸術の内なる光を遥かに想わせる透明な図のような地)。これは戦後のアメリカ絵画がその強大な軍事力と経済力にまかせて覆いつくした絵画の源泉、いやむしろ秘密かもしれない(ポロックの一部にはブルドーザーで平らにされ、大地に埋め込まれた草花の切実さがありはしないか)。そしてまた「絵画」とは、子どもの強弱も不安定ななぐり描きにも似て、何らかの抵抗もしくはその感覚であること。内なる空白に突き動かされて、壁のごとき大地のごとき現実との衝突、諍い、決別、再会−−これらが丸ごと「絵画」であり、そこにある制御(おお!これは理性のことだ)がはたらけば、ほとんど奇跡のようにして絵画が出来すること。
村井俊二の子どものごとき営為には、絵画原論の趣が漂い、しかもそれはすべてを解決してみせるまやかしを演じるのではなく、絵画的な問いのすべてに正解がないことの深刻さ(近いは遠く、遠くは近い)、いやむしろ神秘を告げている。私はここに村井俊二の内省の深さを想い、その絵画の新たなる出発を祈念するのである。